04/01/2021
石山市長があと5年続いてほしい、という大野市民が3分の1程(約1万人)いるなら、もちろん私はその民意を尊重する。しかし、私が思うにあのような市長があと5年も続くようであれば、大野の停滞感は更に加速するであろう。今の大野には明るさがない、未来への展望が示されないのだ。市長のリーダーシップやはっきりとしたビジョンが示されないために、市民の目に耳に触れるメッセージは官僚の無味乾燥な作文ばかり。これでは大野市の雰囲気が劇的に変わるとは思わない。 目に見えるものしか信じない、いわゆる物質主義的な人は、「大野なんか、何やっても駄目さ」という諦めムードに入っている。確かに、諦めムードに入った方が政治に対して何もしなくて良い口実ができるためか、楽と言えば楽である。だが人口減少と政治の停滞にあえぐ大野市であっても、いろいろやろうと思えばできることはあるのだ。 どこでもそうだが、市民が政治参画を怠るようになると、民主主義が錆びついていく。言い換えれば、独裁が入ってくる。今も福井県は、実質的な自民党一党体制になってしまっているのだ。 さて、私がなぜ石山市長の再選を阻止しなければならないと考えているかというと、シンプルに以下の4つの理由。。 1)何をやりたいのかさっぱり分からない 日本の政治家でよくあるパターンだが、組織の力で権力を握っても、その後何をしたらいいのかよく分からないパターン。 2)答弁は役人任せ 答弁は副市長か役人にお任せ。 3)いるのかいないのかわからない テレビカメラの前で謝罪するシーンが、すっかり板についてしまった。 4)後ろに誰がいる? 山崎-岡田-砂子という有名な福井県連トリオが後ろにいるのは市民の間で周知の事実。こんなのに推されて市長になった日には、何もさせてもらえないだろうな。 石山市長は決して悪人ではないので、議会から不信任を出すとかそういうことはない。選挙で与えられた任期はしっかり全うして頂きたいと思う。しかし、2022年6月の市長に出るのか出ないのか知る由もないが、大野の為にもこのような人物を絶対に再選させてはならない。市のトップから自らの言葉を発せず、後ろに札付きの既得権益層が控えているということであれば、大野市の発展は決して望めないことは明々白々なのである。
03/31/2021
何を当たり前のことを、と今更言われそうだが、実は日本の一番の弱点はここにある。以前にも書いたが、政治参画する意欲が乏しいのだ。日本は名実ともに民主主義国家である。故に、国民は平気で政府や指導者の批判ができる自由な国である。ここは問題ない。...
03/26/2021
A. ただ単に隠すのが下手なだけ。そもそも公務員組織自体が不祥事を起こしやすい体質になっている。...
03/24/2021
本日令和3年度一般会計予算案が議会で承認された。承認されても、執行するかどうかは市長権限だが、橋下徹バリの荒業をやってのける現市長ではないので、普通に執行されるだろう。...
03/11/2021
選挙に立候補するにあたって、ネックとなるのが「仕事」のようだ。私の場合、パートの仕事をいくつか掛け持ちしていたので、市議選に出る時仕事を辞める辞めないで悩む必要はなかった。しかし、これから普通のサラリーマンが選挙に出ようとすると、通常仕事を辞めてから、という流れになる。そうなると、家族や会社から「出るな、辞めろ」と言った圧力がかかるのだ。 ここで候補予定者の政治に対する思いが試されると言ってよい。もちろん、周りに言われて立候補を取りやめる、という選択肢もあるが、それで本当に自分の心が納得するのだろうか。これは自分にしか分からないことだが。少なくとも、私も市議選立候補にあたって家族を含め多くの人に反対されたが、立候補を取りやめる気は更々なかった。「出るのか出ないのか、俺の勝手だろ」ぐらいにしか、思っていなかった。 当時は、18議席を24人で争うという噂が流れており、新人が当選する確率はとても低いと言われていたが、ベテランが5人突然引退表明をして、18議席に19人の立候補となり選挙の難易度は一気に低くなった。候補者が何人であれ、私は立候補していただろう。私には、立候補に当たって多くのやりたい政策があり、社会をよくするために大野市議になりたい、という気持ちが強かったのだ。市議になったって出来ることは限られているが、そんなこと立候補前に知る由もない。自分はやるべきことを、一途にやり切っただけだ。結果は当選。しかし仮に落選していても悔いは残らなかっただろう。逆にここで立候補していなかったら後悔していたはずだ。 2019年立候補当時の私には勇気があった。その勇気は「社会を良くしたい」という信念・信仰から出てきたものだ。議員報酬という安定した収入のことは一切頭になかった。確かに安定した収入はありがたいが、それが目的で市議になるのではない。今フルタイムの仕事を持って、選挙に出るかどうか悩んでいるとしたら、市議になって何をしたいか、が問われているのだろう。または、市議になる、ならないにかかわらずどういう社会を作り上げていきたいか、どういう改革を進めていきたいか、それが問われているはずだ。これが曖昧な政治家は、発言に迫力もないし、当選したところで何をやりたいのか分からない。そして、日本にはそのような政治家が多いのだ。 これは我々日本人の多くが物質主義的な発想で、利害・損得で物事を判断しているためだ。お金や権力は目に見えるため、我々はいとも簡単に崇拝してしまう。こうなると、我々は大きな問題を解決しようとする勇気を持てず、小さな細かいことばかり論じて時間を浪費してしまう。自らの意見を主張して少数派になってしまったら、損である。それなら、黙っていよう、多数派に迎合しよう、となってしまう。 このような雰囲気が蔓延すると、独裁の足音が聞こえてくる。そして、ゆっくりと民主政治が衰退していく。声の大きな人物が物事を独断で決めてしまう世の中の登場である。福井県も無投票が多いので、決して「シアワセ日本一」などと浮かれている場合ではないのだ。事実、福井県は政治を既に自民党に、行政を役人に委ねてしまっている。これでは若い人が住みたくなるような福井県にはならない。 人間社会のあるところ、必ず問題が生まれる。であれば、社会を構成する人々はその問題点を指摘し、解決策を提案してゆくべきなのだが、そのように考える大人は少数派だ。教育現場では政治参画など暇人か変人のするものだ、というふうに教わっているのだろう。その証拠に、投票しなさい、と役人は言うが、若い人に自ら立候補しなさい、という呼びかけをすることはない。教育機関も強大な役人組織であり、人々の思いを集約し政策に反映させるのは不得手だ。 社会を本気で変えようとする政治家になるなら、物事を大きく太くとらえて、極力細かいことに拘ってはならない。実は、選挙に出るにあたって、仕事を辞める辞めないとか、誰々が反対するというのは、些末な問題なのである。市議選・町議選に当選するためにしっかりと準備をすべきなのだが、仮に落選したとしても失業保険をもらいながら他の職場で収入を得ていく。そして働きながら、自分の政治的な思いをブログやYouTubeで堂々語れば良い。実はそういった地道な活動が、我々の民主的な社会を強くしていくのだ。 強い信念は、信仰から出てくると書いたが、旧約聖書に出てくる「出エジプト記」にはうってつけのストーリーが紹介されている。エジプト王国で奴隷として日々働かされていたユダヤ人が、神ヤハウェからの啓示を受けたモーゼに率いられて王国を逃げ出す、という話である。 エジプト軍によって追い詰められたユダヤ民族が、モーセの杖によって割れた海を通って対岸にたどり着くシーンはよく知られている。実は、奴隷状態と言われていたユダヤ人も、エジプトにとどまっている限り、最低限の食糧は与えられていて、脱出しない、という選択肢もあった。 しかし、最終的にユダヤ人たちは逃げ出したのだ。中東のあのあたりは砂漠が広がり、とても安全地帯とは言えない。神に対する信仰がなかったら、エジプトを逃げ出すなど、恐すぎて考えもしないだろう。事実、逃げ出してから、荒れ野を彷徨っているうちに、少しずつエジプトの奴隷時代を懐かしむユダヤ人が増えてきた。モーセはリーダーとして彼らのボヤキに四苦八苦するが、最終的には目的地カナンの地に到達する前に死んでしまう。カナンの地にたどり着いたのは、モーセの弟子、ヨシュアの時代である。エジプトを脱出してから、その時までに40年経過していたのだ。 私にはこのストーリーが選挙に出ようか、会社にとどまろうか悩んでいる人にとって凄く響くと思える。神から新しい啓示を受けても、信仰がなければ行動に移すことができないのだ。確かに難しい決断だとは思うが、政治に対する強い思いというのは、神からの呼びかけでないか、と思える。目先の損得勘定でその強い思いに蓋をしてしまうと、一度きりの人生、非常に勿体ないのではないか。 聖書を紐解きながら、政治について語ってみた。実は、旧約聖書、新約聖書は共に最強の政治学の書でもある。イエス・キリストをはじめ、登場人物の多くは命を懸けていた。その長大なストーリーの中には、ところどころに逆境を切り抜けるヒントが多数ちりばめられているのだ。 政治を語りながら、同時に神や信仰について語る日本の政治家はそう多くはないと思うが、私はただ1人でも多くの国民に政治に参画してもらい、よりよい社会を一緒に作っていきたいと考えている。それだけなのだ。
03/09/2021
記事:西東京市の「ムラ社会」的選挙が妨げる、第三極保守政党という新風 https://ironna.jp/article/17025?p=3...
03/04/2021
越前町議会議員選挙3日目が終わった。実際にやってみて、最も重要な時間帯は通勤ラッシュの7時45分から8時半の45分間で、後は昼食の時間の12時~12時半。そのほかの時間は、どこで街頭演説をしても人通りが少ない。選挙カーを走らせることも可能だが、あまり意味をなさないだろう。正直言って事務所で寝ていても、大して気づかれはしない。...
02/27/2021
政治の世界、地方議会の内情は一般市民には分かりにくい。住民に身近な市町の議会ですら中で何が議論されているか全く市民の耳には入ってこない。特段努力して情報収集するなら別だが、仕事に忙しい現代人が市議会・町議会の議論を事細かく分析する余裕は(通常)ない。...
02/24/2021
大野市にすっかり根付いている自民党ー役人型政治。自民党が元役人を首長に担ぎ、組織票(or無投票)で選挙に勝ち、いわゆる「従来型」の行政を行う。他者を刺激するような目立つ発言は極力控え、斬新な政策も行われない。SNSによる発信などもってのほかである。福井県の政治家全般に言えることだが、メッセージの発信力が弱く、有権者からあの人は何を考えているか、何をしようとしていか分からない、という評価が定番だ。そう、「考え」というのは秘めておくもので、有権者に向かってアピールするものではない、と古い政治家&その下請けのような政治家は考える。だから突然びっくりするようなハコモノ案(+スキャンダル)が瓢箪から駒の如く出てくる。 私が市議を2年勤めて、大野市はすっかり「有名」になってしまった。生憎それはユニークな政策ではなく、スキャンダルによって。普段から情報発信をしない市長は、謝罪のたびにテレビカメラの前に現れ、そのイメージがすっかり定着してしまった。 介護施設による偽造投票事件、 市職員によるスポーツ施設公金横領事件、 市職員による上司のハンコ無断使用事件、 市職員によるスポーツ少年団登録料着服事件、 市職員による建設業者からの収賄事件、 副市長による飲酒事故、 他の自治体でも違法行為を起こす人はいるかもしれないが、それを考慮しても大野市のスキャンダル発生率は高すぎる…と他市の人から言われるのではどうしょうもない。2年でこれなら4か月に1回スキャンダルが起きている計算になるので、市政は根本から立て直さないといけないのだ。市職員の殆どは真面目に業務に取り組んでいるだろう。しかし、優等生型の役人主導の政治では長年溜まった膿を出すことなどできない。橋下徹氏のメルマガに書いてあったが、役人というものは批判されることに非常に弱いからだ。批判されること、即ち悪いことであり、斬新な政策よりも従来型の業務ソツなく遂行することが彼らの長所でもあり、仕事そのものなのだ。 だがここまで状況が逼迫してしまうと、そのような役人型思考をしない人物が改革を進めていかねばならない。自民党に推されて出てくるリーダーでは忖度せざるを得ず改革が進められないのだ。我々有権者は、若さや女性といったビジュアルだけでリーダーを決めてはならない。そして、特に田舎では有権者に選択肢が与えられるよう、選挙で選択肢が必要なのである。無投票で首長や議員を決めれば、割を食うのは最終的に住民なのである。
02/23/2021
市議になってから、議会でよく「大野市はこれまでアピール不足で、もっと宣伝をしていかねばなりません」という役所側からの答弁を何度となく聞いてきた。同様に、福井県も「県の魅力度・第44位」と言われている。そのランキングの正確さ云々はともかく、福井県の持つ魅力のアピールにこれまで成功してこなかったのは確かである。京都が2位、石川が10位。下位グループの滋賀ですら37位、岐阜が42位であり、隣県と比較しても福井のアピール不足、アピール下手は否めない。 福井県には京都や金沢程、全国の観光客を呼び込む派手さがないのは分かるが、実はそこが問題ではないと私は考える。要は、福井県、そして大野市の役人気質が問題なのである。特に福井県の政治家は役人気質のオーラ全開である。これがアピール不足の原因だる。わが県では、自民党のミコシに乗って悠々と当選した政治家が首長や議員を務めていることが多い。寄らば大樹の陰、という価値観を大切にしてきた政治家さん達は、自らが政治的信念をもってメッセージを発信し、目立つことを良しとしない。コロナ対策や印鑑廃止など、国や他県で既にやっていることをソツなくなくこなすことは得意だが、福井県・大野市独自で何か新しいことを実行していくという行いは、役人型リーダーにとって非常に不得手な分野なのである。なぜなら、新しいことは失敗する可能性が高く、失敗=悪なのである。しかし、イノベーションは失敗の積み重ねから生まれるものだ。 有権者も知事や市長、町長が普段から何をしているか、考えているかを知っている人は少ないだろう。SNSが発達した現在、自らが発信者となってメッセージを全国民に届けるのは簡単なことだが、そういうことを、例えば首長がやってしまうと当然四方八方から矢が飛んで来ることは自明の理である。だからSNSは使わない。そして使えない。発信に慎重になりすぎてしまうのだ。私もSNSでの発言で「お咎め」を受けたことは何度もあるが、そういうことを繰り返すことによって、矢を防いだり、かわしたりするスキルも政治家としてついてくる。飛んで来る矢が実は「スポンジ」で出来ていることに気が付かない。ミコシにのって政治家になってしまうと、そういう行為そのものがタブーとなってしまう。こういうタイプの人って、選挙に1度落選するだけで、寝込んでしまうのではないだろうか? 前例のないことを計画・実行し、それをSNSでアピールする。予算も特別な観光資源も本来ならば必要ない。役人型気質のリーダーを選挙で選んでしまっては、そういうことを期待するのは難しい。民間企業ならどうやって自分の商品やサービスをアピールするのか、どういう絵や文章を入れたら大衆を惹きつけるのか、常日頃から考えているものなのだ。今の福井県や大野市に必要な気質はこの点である。福井県の魅力をアピールしていくには、我々自ら優等生型の「役人気質」を排除していかなければならないのだ。

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