落選しても別に恥ではない

選挙に関する誤解の1つに、落選は無駄で、意味がなく、恥をかくだけ、というものがある。これまで何人かの人に私は次の選挙に出るべきではないと言われた。いわく、出てもどうせ負けるだけだからだ、と。

「負けるから出るべきではない」という意見に賛成はできない。なぜか。

 

① 自分が何票取れたか知ることができる。

落選しても、何票取ったかによって意味づけは変わってくる。大差で負けたのか、僅差で負けたのかによって、その候補者の影響力は変わってくるからだ。また対立候補に誰が出るかによって票数も変わるが、そんなものは普通は各候補者がコントロールできるものではないので、気にしても仕方がないのである。あらゆる選挙で候補者調整があるようだが、最終的に候補者本人が「出る」といえば、誰もそれをとめることはできないのである。

 

② 無投票を防ぐことができる。

落選しても、無投票を防ぐことができただけ意味があると私は考える。福井県の選挙は無投票が多いが、これは福井にとって非常に良くない。候補者に情熱があれば、自らの信念を有権者に訴えることは、本来すごく楽しいことであるはずだ。1996年の自民党総裁選で圧倒的な強さを誇った橋本龍太郎氏に対し、無投票を防ぐため小泉純一郎氏が立候補した。このとき大敗したものの、小泉氏は持論の郵政民営化を訴えることができ、知名度を上げたのである。

 

③ 立候補者が増えれば、選挙が活性化する。

選挙が活性化すれば、どんな田舎の自治体もとりあえず盛り上がる。住民もそれにつられて地元の未来を考える人が増えるはずだ。良い候補者がたくさんでなければ、結局消去法で悪い政治家が当選してしまうのである。政治に無関心を決め込む人は、実は知らないうちに政治の悪化に加担してるのかもしれない。

 

④ 知名度が上がる。

選挙に出ればとりあえず知名度が上がり、次の選挙につながるというものである。この効果は大きい。前述の小泉元総理も2度総裁選に敗北している。実は私も高校1年の時、生徒会選挙に落選している。当時は嫌だなと思ったが、2年になり生徒会長選挙に当選できた。実現したいことがあれば、何度立候補しても良いのである。

 

⑤ 落選は恥ではない。むしろ候補者自身を強くする。

確かに落選は候補者のプライドを傷つけるだろうが、大学受験失敗と同じで、深刻に捉える必要はない。数年間、別のことをすれば良いだけである。また、立派な功績を残した政治家は、多かれ少なかれ落選か病気などの挫折を経験している。