物質主義、言い換えれば「目に見えるものだけ信じること」だろうか。
選挙前、 選挙後、
「お前は泡沫候補だから出ないほうがいい」 →「当選して良かったねぇ」
「選挙なんか止めとけやー」 →「当選して良かった」
「4年後に出たほうがいい」 → 返答なし
「選挙に出ると、ケイサツに捕まるよ」 →「夏休みの宿題の件以外では、君に賛成なので…」
「選挙に出られると、こっちが迷惑だ」 →「おめでとう!」
「オレに相談してから出るのが筋だろうが!」 →「良かったな」
「(卑しい)政治家になるなんて信じられない」→「純粋な心を持ち続けて頑張って、応援してます」
「選挙は甘くないんデスよ」 →「1票いれさせて頂きました!」
人生経験豊富な大人たちがこうなのだ。
選挙前と選挙後で同じ人間に対して、なぜこのように言うことがガラリと変わってしまうのだろうか。
この人たちは、もし僕が選挙に落ちていたらどう言っていただろうか。
きっと「そら言わんこっちゃない」と言うだろう。
選挙を通して分かったことは、人間とは目に見えるもので判断することが多い、ということ。
人はお金、肩書き、組織、容姿、資格、学歴、権力など目に見えるもので判断されがちだ。
選挙で言えば、勝敗予想は組織や随行員・随行者の数などで立てられる。
北陸政界の記事などは、通常これらの要素で選挙結果を予想する。
しかし、目に見えない要素、例えば、候補者の情熱が選挙結果を大きく変えることもある。2019年大野市議選でもそれは証明された。
フタをあけてみたら、泡沫と予想された候補が当選し、確実に勝つと思われた候補が負けた。
そして選挙は勝たなきゃ意味がない、と人は言うが、本当にそうだろうか。負けたら努力は無駄になるのか。
そうではない。社会を変えるために訴えたいことを訴えた実績は残る。
目に見える要素にとらわれず、選挙に勝とうが負けようが、世の中を変えていくために努力を続ける人が真の政治家だと思う。社会を良くしていくのはこういう人だろう。