儒教的価値観からの脱却

日本は東アジアに位置する。日本や朝鮮半島、中国、台湾などは儒教文化圏に含まれる。

実はこの文化圏には似通っている部分がある。それは、試験至上主義と官僚崇拝文化だ。

儒教には昔「科挙」という皇帝を補佐するための官僚を選抜する試験があり、政治エリートを目指す若者は必死にそれに向けて勉強したそうな。生活にそう役に立たない知識を詰め込むのに大量の時間をエネルギーを費やす。韓国や中国は今でも大変な試験社会。日本も昔ほどではないが、子供たちは試験でよい点を取るために夜塾に通ったりする。

 

以前ブログにも書いたが、福井県はまだ公的機関に勤める人、つまり官僚への信頼度が高い。官僚に比べ、選挙で選ばれた政治家などは一般的に尊敬されてこなかった。福井県では同じ政治家でも官僚出身者が首長に就くことが多く「安定感がある」と思われている。これも元はといえば儒教文化からきていると考える。

本来は国民が選んだ政治家が官僚を主導し、民間が納めた税金が役所を支えているのだが。文化の力は根強い。

 

そういえば、子供の頃、大蔵省(現財務省)や外務省を目指したら?と言ってくる大人は周りに結構いた。

だけど、政治家になりなさい、という大人はほとんどいなかった。(たしか1人いた)

 

儒教文化圏では、キリスト教文化圏よりも「休み・休暇」を重視しない。

キリスト教の聖書には「安息日」という言葉が出てくる。一週間のうち7日目は休みなさい、ということだ。

休みを取らないと、神のことを忘れ自分の出世・富の蓄えのことばかり考える人間になる、という考えからだ。例えば、同じアジアでもキリスト教圏のフィリピンでは夏休みの宿題はない。

「だからフィリピンは貧しい」などと反論する人もいるが、それでも彼らは私たちより英語は上手い。

また夏休みの宿題がなくても経済的に成功し、優秀な人材を育てている国は世界にたくさんある。

 

「夏休みの宿題廃止」「有休休暇全取得義務化」を主張する僕は、そんな儒教文化と戦っているのかもしれない。