【行政の無謬性】そもそも、行政だって間違いを犯す

無謬性とは、誤りを犯さない性質・前提という意味。広島の研修で行政(市役所、県庁、中央官庁など)は無謬性を元に成り立っている、と解説を受けた。もちろん、今回の札幌の児相の問題を例に出すまでもなく、行政だって我々と同じ間違いを犯し、失敗もする。一般市民や議会は、その点をしっかりと認識しておかなければならないし、私たちは(首長と違い)直接行政の政策を変更する力はなくても、問題提起はし続けるべきなのだ。

 

一般の民間会社で働いている人も例外ではない。学校でもそうだと思う。

社内や学校内で「これはおかしいのでは」という状況に出くわすことは多々あると思う。

しかし、どんな組織でも内部に力を持っている人はいる。上司や上級生・教師に問題点を指摘するのはかなりの勇気がいる。私たちの文化では「目上の人に失礼なことを言ってはいけません」という考えが強い。

一体目上とは何を意味するのか?何かが大きな事件に発展する前に、危険性の芽を摘んでおいたほうがいいはずなのに。どうも組織の中では往々にして「失礼にならない」ことが何よりも優先されてしまう傾向がある。

 

私も会社員の頃、ボスっぽい先輩社員Aのある幼い行動をたしなめた経験がある。

そしたら、別の先輩社員Bが「そんなことしないほうが、君の将来にとって得だ」と諭してきた。

彼の意見は誤りだった。僕の発言によって、先輩社員Aは奇妙な行動をとらなくなった。

だが、先輩社員Aは意外と何もしてこなかった。報復めいたものは何もなかった。

周りの社員、上司の対応を見ても案外この人たちは臆病なんだ、と当時感じた。

 

それによって僕は一部の社員から嫌われたかもしれない。しかし、それでよかったと思っている。

私たちは1職場、1組織を神聖視する必要はない。紙切れ一枚でいつでも去れる。

内部から改革を提言するならすればいいし(というか本来すべき)、辞めて別の所にいっても全然構わない。

 

数か月後、台湾留学のために、僕はその会社を辞めた。