【働き方改革】週40時間働けば、豊かな生活ができる社会に

昨日の記事「働き方改革」について、引き続き自分の考えをまとめておきたい。

 

「働き方改革」を言い換えると「週40時間働けば、豊かな生活ができる社会の実現」である。

 

「働き方改革」という言葉に疑念を持つ有権者も少なくない。反論する人から、では子供たちの教育の質は担保できるのか、とか、そんなんで会社はやっていけるのか、という意見を何度か耳にしてきた。働き方改革の目的は、私たちが意に沿わない形で長時間働かされすぎないようにするための改革である。当然、日本の長時間労働を美徳とする勤労観念を根本から覆すため、強力な政治的リーダーシップを必要とする。過労で自殺を選ぶ人もまだ日本に存在するため、私は働き方改革の推進に賛成である。当然、次の選挙では学校の先生も、市役所の職員も週40時間労働、有給全消化を公約にしたい。

 

教員の働き方改革について、先生の労働時間が減ると、子供たちの教育の質が低下するのではないか、と心配する人も少なくない。しかし、教育について語る人が一旦「子供たちのために」と言い出すと、際限なくするべきことが増えてしまい、教員の労働時間と休日出勤が増えてしまうのである。「子供たちのため」と言い始めたら、仮にそれが教職員の残業地獄であっても、何でも正当化されてしまうのが今の日本の現状だ。だから教員の働き方改革はなかなか進まないのだろう。

 

教育の質を上げるならば、まず教育を実行する人たちのことをまず第一に考えなければならない。

教育の受益者は子供たちだが、教育の実践者は教職員である。まずは彼らの労働環境を整えてから、次に子供たちのことを考えるべきなのだ。今はその順番が逆になっていて、教職員の負担ばかりが増えてしまっているのだ。

 

教職員や教育委員会は、子供たちの親から批判されることを怖れているように思う。

原因は、首長(地方教育行政の最終責任者)のリーダーシップが不在だからではないか。

教育は人によって考えが全く異なる。故に、改革を進めようと思えば必ず誰かが反対するのだ。

その反対の中でも、可能な限りベストな案を作り実行し、その責任を取るのが政治家の役割なのだが、どうもここ大野市ではトップが「〇〇を見直します」というだけで、あとは教育長に丸投げ、という印象が拭えない。

 

前例踏襲主義は楽だ。何かが起きた時、責任を問われるのは、その前例を作った人だからだ。

その人はもうこの世にはいないかもしれない。

 

しかし、改革案を実行するとなると、その結果が失敗に終わった時、その責任は自分が被ることになる。

なるほど多くの行政マンが前例を踏襲したがるのもわかる。しかし、それでは日本社会は一向に良くならない。政治的リーダーの実行力によってのみ、人も社会も大きく前進できるのだと思う。