【検事長の定年延長】官僚の人事権は、選挙で選ばれた政治家が行使すべき

官僚に人事権を与えることの方が危険である。選挙で選ばれる政治家がしっかりと人事権を握ることが大事。共産国は選挙がないか、形式的な選挙しかないので、実質的に共産党員(=官僚)が人事・予算のすべてを握っている。こんなことで国が発展し、国民が幸福に暮らせるわけがない。よって選挙で選ばれた安倍内閣が検事長の定年延長をするかどうかを含め、堂々を決めればよい。

 

反対派は政治の介入を非常に恐れているようだが、私は官僚の暴走のほうがはるかに恐ろしいと思っている。政治家は有権者が選挙によって落とすことができる。逆に、官僚は私たちが選挙で落とすことができない。故に権力(特に人事権・予算執行権)を持たせてはならないのだ。

 

国政の場合、自民党が野党にならなくても一定の議席を減らせば少なくとも総理・総裁の地位を失うことになる。こちらのほうが反対派の目的にかなうことではないのか?維新・N国を除く野党の本来の目的はそちらではないのか?

 

実はこの議論は教育委員会制度の問題につながってくる。戦後、教育に対する政治家の関与を恐れたGHQはメチャクチャ複雑な教育委員会制度を作り、政治家(特に首長)の関与を最小限に抑えようとした。結果、事なかれ主義、無責任体質、隠ぺい体質が蔓延し、いじめや自殺などの問題に迅速かつ的確に対応できなくなった。

 

この矛盾が爆発したのが2013年の滋賀県大津市の中学生いじめ自殺事件である。当時大津市長だった越直美市長は自治体の教育に対して市長が何もできない制度になっていることに気づく。世論も激高し法改正につながり、首長が「総合教育会議」で影響力を行使できるようになったのだ。

 

司法も教育も民主的に選ばれた政治家の影響を排除してはならない。今は野党、マスコミに加えてインターネットが権力者を監視できる社会である。官僚が密室で「民に知らしむべからず」的な方針をもって何もかも決めてしまう政治こそ、我々が拒絶すべきものなのだ。

 

香港の民主活動家たちが今それを教えてくれていると思う。