教師と生徒は平等・対等の関係で

私たちは学校で「教師は目上の人だから、敬意をもって接し、言うことに従いなさい」と教わる。教師と生徒は上下関係、縦の関係で結ばれており、教師が生徒に対して、体罰や威嚇も普通に行われてきた。「教師」という権威を持ち出して相手を従わせる、きわめて伝統的な常識を体現した指導方法だ。当然、この常識は会社組織にも引き継がれる。これをアジア型の権威主義とでも呼ぼうか。

 

このような教育を続けてきた結果、日本の経済が上がるにつれて起こったのが80年代の校内暴力。縦の関係に基づいた権威が、「実はたいしたことない」と気づいた若者たちは、教師や学校の権威に挑戦しようと様々な

他傷行為を行った。

 

90年代に入ると、権威側も何とか自分たちの威厳を保とうと、締め付けを強めていく。私はこの時期に中学・高校時代を過ごした。教師側も生徒たちになめられまい、と一生懸命だったのだろう。様々な威嚇、時には体罰を通して、血気盛んな中学生、高校生を手なずけようと必死だった。

「勉強しなければ、俺の言うことを聞かなければ、お前たちは進学できず人生の落後者になる…」的な演説を大人たちは好んで行っていた。社会人となり、必ずしもそうでないことはわかったのだが、この手法は短期的には若者を委縮させる効果がある。しかし、その威圧感が実は見掛け倒しであることが分かると、公然と若者は反抗し始める。

 

この時期私を含めて、力・権威のあるものが他者を支配する、という観念を学び、社会はそれで動いていることを知った。その観念は社会人になっても自分の中で引き継がれることになる。そういえば、クラブ活動でも先輩・後輩関係の厳しい所は、社会の構図を表していて、なるほど多くの日本企業が体育会系を採用したがるわけだ。

 

しかし、この縦に基づく考え方が、パワハラやセクハラを生み出していることは連日のスキャンダルやニュースで立証済みである。まさに、力のある者が、力のない者を支配する、我々が学校で学んだことを社会人たちは忠実に行っているのだ。

 

これでは、いけない。どうしたらよいのか。

 

まず、人と人とは対等である、ということを全員が再確認すべきだ。赤ちゃんであってもお年寄りであっても。年齢、性別、国籍、人種、富の有無を問わず人は皆平等なのだ。これは当たり前のことなのだが、人はなかなか行動に移せない。縦の関係の中にいた方が、心地よいと思う人は案外多いのかもしれない。

 

教育に関して言えば、よいモデルがある。それは社会人教育。教師側と生徒側が同時に成人である場合、教師側が威嚇して学ぶ側を勉強させることはない。今は大学で多くの社会人が学んでいる。教授や講師も、相手に敬意をもって接していることはすぐに分かるし、当然学ぶ側も相手に敬意をもって授業に参加する。このような関係がないと、居心地の良い学び場は成立しないだろう。

 

私も妻も英会話を教えており、生徒の中には多くの社会人がいる。皆自分のお金で授業料を払い、熱心に学んでいる。私たちの関係は、対等なのだ。相手が小さな子供でも、中学・高校生でも、原則は変わらない。相手に勉強させようと上から目線で圧力をかけてはならないのは当然、逆に相手におもねっても相手側の疑念を招くだけ。

 

相手の自主性を尊重しつつ、安心して学べる環境を提供すれば、ほとんどの生徒は学びを継続してくれる。私が家庭教師や塾講師として積んできた経験からはっきりと断言できる。問題はこの考えが、学校現場には適用されていないことが問題で、ここに政治家がしっかりと介入すべきなのだ。役人、教委、学校、専門家任せにしてきた結果、多くの国民が教育機関に失望してきた。

それでも有権者たちは誰に教育を任せてよいのか分からないでいるように見える。答えは、政治家である。我々は自分の子供の担任を選ぶことはできないが、政治家を選ぶことはできる。政治家を変えて、教育と学校を改革していかねば、ワリを食うのは我々の子供たちであり、間違った教育の結果は数十年後そっくりそのまま大人たちに跳ね返ってくるのだ。