「勉強しろ」という大人は教育を理解していない

そもそも、勉強しろ、といわれて人は学ぶ生き物なのか非常に疑問だ。学ぶことは面白いことで、人は他人から言われなくても本来自ら学んでいく生き物だと私は思う。しかし、今の教育現場や家庭では、子供たちをなだめすかしたりたり、モノで釣ったり、脅迫したりして勉強させようとする。「教育のプロ」と言われている学校教師でさえそんな人がいるので、家庭でも多かれ少なかれ同じ構図だろう。

 

受験勉強を例として「勉強というのは苦しいものだ」と多くの大人たちが信じ込んでいる。「選挙にはカネがかかるのだ」というウソ話を大人たちが信じ込んでいるのと同様、間違ったことが常識となってしまっている。その結果、多くの子供たちが勉強嫌いになっているのではないだろうか。この誤った価値観を変えていく必要がある。

 

学校で取る成績や通知表も所詮は紙切れ一枚。自分の学力やスキルを証明するのであれば、しかるべき時に資格を取ればいいだけの話。英語であれば海外留学できれば良いが、できなくても英検準1級や1級を取ればそれで語学力は証明でき、就職活動でも普通に履歴書に書ける。学ぶ意欲さえあれば、学校に行かなくても通信制コースや独学で独自の学びができる時代なのだ。学校に行き友人らと人間関係を学ぶことは必要だ。だが、教師不適格な担任やヤヤコシイ同級生に出くわすリスクがあることも忘れるまい。我々は自分の子供の担任、校長、教育長を自ら選挙で選ぶことはできないのだ。その点、政治家に加え塾講師、家庭教師は皆が自由に選べるので、なんと民主的なんだろう!政治家と塾講師を生業にしている自分を誇りに思う。

 

むしろ、今の教育の罪は、若者たちに学ぶことを嫌いにさせている点であろう。特にこの福井県では学校主導、教委主導が色濃く、教育が学びの本来あるべき姿から大きくかけ離れてしまっている。その証拠の一丁目一番地が夏休みの宿題なのだ。日本の教育システムは不登校生に対する対応が他国と比べ比較的寛容で、意外と自由度が高い。今改革すべきは我々の教育に対する意識であり、時間をかけてでも有権者に訴え続ける必要がある。