【教育大国福井県の過ち】学びを嫌いにさせてきた

私は議員をする傍ら、英会話学校で英語・数学・中国語を教えている。数学・中国語は元々教えるつもりはなかったのだが、生徒側から希望があると英会話学校でも教えるようになった。コロナが蔓延し始めたあたりから、「ダニエル先生でお願いします」という声が増えてきて、うれしい限りなのだが、なぜにそうなったのか。そこを考えると、今の福井県の教育が犯してきた長年の過ちに気づく。

 

長年の過ち…それは、子供たちを学び嫌いにさせてきたこと

 

なぜ児童・生徒が学ぶことに対して嫌悪感を抱くようになったのか。子供たちが「できない」部分を殊更教育で指摘し続けてきたからだ。例えば授業中で1人問題が分からなかったりしても、恥ずかしくて分からない、と言いづらい。相対評価である通知表をもらって低い評価だと、ここもっと頑張りなさい、となる。子供たちは常に比較され続け、安心して学ぶことができないのだ。学ぶことが楽しくなければ、それは嘘である。動機が不純(親・教師から褒められたい、同級生に勝ちたいetc)だと、学びはいつまでたっても楽しめない。

 

これまでの教育はどちらかというと、「脅して恐怖感を与えて勉強させる」が主流だったように思える。勉強しないと高校に入れず(実際は大野市では大野高・明成高ともに全入状態なのだが)、みじめな人生を送る羽目になりますよ…的な。高校に入らなくても大学に行けたり、オンラインで授業を受け単位を与える学校があったりするこの時代、そんな古い考えを押し付けて何になる?今の10代は大人が思うより遥かに賢く、特にSNSを駆使した情報収集・発散のスキルは高い。大人の偽善・欺瞞を察知するのに多くの時間を必要としない。

 

そこで私が常々英会話学校で臨んでいるスタンスは、「安心して学べる環境の提供」である。普通民間の塾というと「どれだけ学力や成績を上げてきたか」が問われるとされてきた。優秀な講師に学べば、3か月で成績が50点から80点になりますよ、みたいな。そこにつられて親が多額の学費をつぎ込むのが従来型の塾なのだ。

そういった環境では子供たちは「成績を上げなければ」という強迫観念を植え付けられることになる。

 

安心して学べる環境…それは、間違ってもいいんだよ、ゆっくり自分のペースで1つ1つ学んでいこう、という姿勢を1回目の授業から講師側が示すことだ。ことに英会話の練習となると、間違えることが怖いと「Hello、My name is…」すらハッキリ発音できなくなる。成績や成果に大人が拘り過ぎると、子供たちが自分の力を十分に発揮できなくなるのだ。ここを履き違えている大人は未だに多い。

 

実は「ゆっくり自分のペースで1つ1つ学んでいく」というスタイルは、現在の公立学校の指導スタイルになじまない。1人の教師がレベルの違う生徒を一斉に教えるスタイルは既に合わなくなっているのだ。同時に、出される課題・宿題も十把一絡げに同じものが出される。これは非効率だし、教師側も非常に教えにくい。となると、科目ごとに習熟度別に生徒を振り分ければいいのだ。例えば1組では「さあ、ゆっくりと基本のABCを書くことから復習しましょう」、4組では「外国人講師の前で3分間の英語スピーチをしてください」みたいなスタイルにするのだ。このやり方だと、科目ごとにクラス編成や指導方法が変わってきて、教員側も同じレベルの生徒を相手にできるので教えやすい。実は中3の課外授業では習熟度別のクラス編成が一部導入されているし、私が中学の時も既にそうだった。

 

この習熟度別クラス編成はこれまで主流になることはなかったが、これからは一考に値するのではなかろうか。教育行政はまず「学ぶことを好きになってもらう。学ぶ楽しさを知ってもらう。」ことに着目すべきで、大野市の学力が他市町と比較して〇〇点上がった云々は二の次、三の次である。見たところ今の日本の教育現場は私が10代だった20年前、30年前と同じ問題を抱えているように思える。今こそ政治がリーダーシップを発揮し、教育を抜本的に改革すべき時である。子供たちが学校での学びに嫌悪感を抱くということは、それは即ち福井県や大野市に嫌悪感を抱くことにつながってしまう。これではまずい。