【脱・きれいごとの政治】真実は嫌われ者の口から語られる

川口マーン恵美著の「移民 難民 ドイツ・ヨーロッパの現実2011-2019 世界一安全で親切な国日本がEUの轍を踏まないために」を読んだ。あまりに面白いので一気に読めた。大野市政とあまり関係ないが、国際政治を専攻した私としては非常に関心を引くタイトルである。

 

ドイツは日本と違い、戦後は大勢の移民をトルコや東欧から受け入れてきた。最近では中東から難民がドイツに殺到している映像を見た人も多いのではないか。

理由は

①ナチス時代を反省し、外国人に開かれたドイツを創ろうとした。

②肉体労働者や介護職等の労働者不足を補うため。

③難民支援等、人道上の理由から移民・難民を受け入れようとした。

である。

 

他の欧州諸国も多かれ少なかれ日本よりは移民・難民を受け入れているが、ドイツのそれは突出している。

しかしそれは同時に多くの問題をドイツ国内に抱えることになる。犯罪率の増加や、それに伴う偏見・差別が問題を深刻にしている。メルケル首相はほぼ1人で中東からの膨大な数の移民の受け入れを決めたようだ。人道の観点からドイツはそうすべきだ、と主張していた。

 

著者はこのメルケル首相の決断について非常に冷ややかに批判している。多くの難民を受け入れることによる結末の責任を背負いきれるのか、きれいごとを言いすぎているのではないか?ということだ。

 

差別はいけない、困っている人達を助けましょう…メディアも政治家も「極右」のレッテルを貼られるのを怖れ紋切り型のスローガンしか叫ぶことしかしない。それに異を唱えている政党はかの有名なAfD(ドイツ人のための選択肢)のみである。今のドイツ社会ではAfDを支持しているなどと言うと社会的地位を失いかねないようだ。それでも、選挙では議席を増やし続けている政党の1つだ。

 

著者はドイツ在住のため、今のドイツの現状を見ながら日本も同じ轍を踏まないよう警鐘を鳴らすためこの本を書いたという。政治において「きれいごと」は後で大きな代償を払う羽目になると。

 

日本でもメディアや政治家が「きれいごと」を語る時は何となくうさん臭さを感じるものだ。そりゃあ憲法第九条を大切にして世界が平和になればそれに越したことはないが、大国や共産国に囲まれた日本はそんな甘っちょろいことを言っている暇はない。また、最近はそうでもなくなってきたが90年代までは、憲法改正を叫んだり、中国・韓国・北朝鮮の批判をするだけで確か右寄りと指さされたものだ。戦前に日本がやったことの後ろめたさもあったのだろうが、現実を直視できなくなると、問題は更に大きくなり、いつのまにか取り返しのつかないことになる。

 

北朝鮮の拉致問題を長年認めてこなかったのは右翼批判を怖れた主要メディアや政治指導者ではなかったか。

(最近聞かなくなったが)日中友好?という言葉でうわべだけ友好ムードを演出しておいて、しっかりと尖閣諸島を取りに来る中国に対して、見て見ぬふりをしてきたのは「きれいごと」を並べるダメダメエリートたちだった。韓国もしっかりと日本に対して強烈な外交攻勢をしかけてきているのに、それに対抗しようとすると右翼だ、排外主義的だなどと批判する人達は非常に胡散臭い。平和外交だの、話し合いプリーズ等と言っている人は、間違いなく将来傷口を大きくしてくれる人たちだ。

 

政治をやるものは嫌われることを怖れてはならない。逆に嫌われるような意見の中に真実が存在することが多い。物議を醸すことを言わない政治家は大きな仕事をすることはないだろう。政治家はいろいろ批判に晒されるが、有権者の心の琴線に触れる言葉を言えば必ず支持してくれる人は現れ、その数も時間と共に増えていく。私の短い人生40年間で気づいたことだ。既存メディアに変化を求めるのは無理がある。政治家は面倒くさがらずにブログやYouTube、ツイッター等で自己主張をすべきだろう。