【李登輝総統退任20周年】日本の政治家に必要なことは何か?

李登輝氏が1999年に著した「台湾の主張」という本を久方ぶりに読んでみた。10代から英国留学時代、何度も何度も読んだ思い出の本である。李登輝総統(当時)がきっかけで国際政治を大学で専攻しようと決めた。

 

22歳まで日本統治下の台湾で過ごし、第二次大戦中は日本兵として従軍。戦後は蒋経国総統に抜擢され副総統に。1988年に蒋経国氏が急死し、副総統の李登輝氏が66歳で総統に就任する。国家元首が日本語ペラペラということで異例の存在であった。政権末期の1999年に現職の総統として「台湾の主張」を発行する。

 

李登輝氏が総統だった90年代、日本はバブル崩壊後の経済不況に喘ぎ、政治家も官僚もスキャンダル続きで国家のとして自信を失っていた。80年代後半は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれた黄金期だったが、わずか数年でこんなに雰囲気が変わるものなのか。こんな時代に私は思春期を過ごし、日本の未来に対して非常に悲観的になっていたのを覚えている。逆にそれが政治への強い関心につながっていったのだが。

 

台湾と言えば、中国との関係が最重要課題である。なにせ台湾の何百倍、何千倍大きな国が台湾を併合すると公言しているのだから365日国家存亡の危機と言える。故に、日本政府が中国大陸に対してどのような外交政策を打ってくるか興味津々なのである。特にこの90年代という時代は戦後最も「親中派」が活躍した時代ではなかっただろうか。社会党の村山富市総理、自民党きっての「ザ・親中派」河野洋平外務大臣のコンビが象徴的だった。

 

また、この頃は今と違って、中国・南北朝鮮の悪口を言うだけで日本人は「右翼」とレッテルを張られてしまっていた。マスコミは当時北朝鮮を「北朝鮮民主主義人民共和国」と長ったらしい正式名称で呼ぶように自主規制していた。拉致問題や国交のない台湾など関心を持たなかった政治家も当時は多くて、中国や北朝鮮を刺激するのを避けるために、あらゆる外交的問題を先送りにしていた。尖閣諸島が今大きな問題となっているのは、当時の過度に宥和的な外交政策のツケであろう。

 

この著書「台湾の主張」では、第6章が「いま日本に望むこと」という見出しである。この第6章が我々日本人に対する著者からの強烈なメッセージなのだ。要約すると、

● 日本は自信を取り戻すべきで、政治家とメディアはやたらと中国にお伺いを立てる必要はない。

● 日本政治が停滞している理由は、1)政治家の世襲、2)官僚主義

● 日本社会は多様性を回復する必要がある。

● 日本人は能力とは別に心を鍛え、信念と自信を取り戻せ。

● 日本人の学者も直接社会を良くするために、政治に参画してみよ。

● 政治家は時に「能力・利害」を無視することが必要。

● 政治家は大きく物事を捉えるための、信念と自信が欲しい。

 

李登輝総統が引退してから20年、今は98歳だろうか、まだご存命のようだ。当時二十歳だった私も、不惑の40歳に差し掛かかり、不肖私も政治家の端くれだと思っている。李登輝氏が第6章で言いたかったことは、実際に自分で議会の中に入って良く分かるようになった。なるほど政治家は知識や能力、利害調整よりも、信念と自信が先に問われる。私らの世代に分かりやすく言えば、政治家は「桜木花道たれ」ということだろう。スラムダンクの桜木花道はバスケは素人だが自分を「天才」と呼び、自信満々で自分より格上のスター選手に対しても臆せずタイマンを張ろうとする。そして、この姿勢が彼の潜在能力を開花させ、チームを勝利に導いていく。今ならドナルド・トランプ米大統領や、ナイジェル・ファラージ英離脱党党首だろう。彼らのような政治家が日本にも欲しい、と動画で語ったことがある。

 

また、私がよく街頭演説でも指摘をするが、日本政治が停滞してきた2つの原因、①世襲 ②官僚主義も未だ根強い。特に自民党が長年支配し続けてきたこの福井県では、政治のダイナミズムなど起こりようがない。たまに面白い選挙になったと思ったら、結局は自民党内の争いだったというオチである。それでも選挙があるだけマシで、下手すると無投票になってしまう選挙区も未だに多い。

 

自民党に入れば、政治家の息子というだけで簡単に選挙に当選できる。世襲候補は金銭面、選挙区に棲む有力者とのコネクション、知名度を武器に、あまり苦労しなくても当選できてしまうのだ。当選して何がしたいのか、そういった信念があるわけでもない。または、仮にあったとしてもそれが有権者からは全く見えない。政治の世界で世襲が蔓延すると、政治にダイナミズムが取り去られ、選挙になっても有権者は変革の風を感じないだろう。政治の停滞はこうやって起きていく。

 

日本政治の官僚主義について、この福井県では、役人・官僚出身の候補が自民党のミコシに乗り悠々と首長選挙に当選してしまう。議会内の政治家が行政権を握るのに及び腰であるためか、自民党が支援する役人候補が最終的に首長になってしまう。役人は優等生なので批判には弱く、大きな改革を主導できない。また、つまらない理論に固執して排他的な姿勢を示しがちなのも20年前と変わっていない。確かに行政職員は細かいことに集中するように訓練を受けてきたので、それは仕方のないことだが、李登輝氏の指摘から、政治家には全く別の能力が要求されるようである。政治家の側も、重要な政策立案を行政職員・官僚に丸投げしてしまっていたため、政治家が自らなすべきことまで官僚に渡してしまった。政治家が信念などなくても政治家が務まるようになってしまっていたのだ。果たして日本の官僚主義は、20年前と比べどれだけ良くなったのだろうか?

 

この福井県では、世襲問題と官僚主導型政治は現在進行形である。20年以上前に発行された李登輝氏の著書を今一度読み返し、福井県の課題を大きく、太く捉えてみよう。福井県の政治がどう変わっていくべきか、進むべき指針が見えてくるはずだ。