【政治指導者の信仰】利害・損得だけで動かないために

政治を行うと、または政治を行おうとすると、どうしても動きや考え方が打算的になる。

「候補者が少なければ、選挙が簡単なので、立候補してみようかな?」

「現職と選挙で戦っても負けるだけだから、今回は出馬を見送ろう。」

「あの人は実力者だから、近づいて仲間になっておこう。よらば大樹の陰だ。」

…という発想を普通の日本の政治家ならするのではないだろうか。事実、2019年の大野市議選でも、落選者が6人でると噂された段階で立候補を取りやめた人は数人いるようだ。ここで政治に対する候補者の信念が垣間見える。信念の弱い候補者にとって難しい選挙を戦いたくないのは当然だろう。

 

同様に、今都知事選をやっているが現職が圧倒的に強い。現職が圧倒的に強い中で首長選に出馬する意味などあるのだろうか、と多くの政治家は思うだろう。都知事選は自己アピールのための側面もあるので別格だが、他の県市町の首長選では現職が強いと無投票or結果が最初から分かっている出来レースになりがち。結局ここも信念の問題である。頭がいい悪いとはまた別次元の問題だ。時には、強大な現職に対する選択肢を有権者に提示することも地域発展のためには必要だと強く思う。

 

さらには、今中国という大国が香港を完全に統制下に置き、台湾・尖閣諸島への進出を企てているのは明白だ。こういった隣国の超大国に対して周辺諸国の政治指導者はどう対応するか。違和感を感じたのは私がかねてから尊敬してきた橋下徹元大阪市長や立花孝志N国党党首である。この2人は法律にも詳しくとにかく頭がいい。しかし、ラジオやYouTubeなどで発言を聞いていると、意外にも中国・北朝鮮に対する警戒感が薄い。国政・内政に対しては抜群の知恵を働かせるこの2人だが、相手が人権弾圧を繰り返す独裁国家・共産国家であっても強い憤りを感じているようには思えないのだ。むしろ独裁者のリーダーシップを評価しているようにも感じる。

 

これで良いのか?政治指導者にはもっと何か背骨となる強固な信念や信仰がなければ、目先の状況によって自分の姿勢が揺れてしまうように思える。ここはやはり台湾の元総統李登輝氏の著書を読むと、他の政治家との違いが浮き彫りになる。日本では、国に対する信念が強い政治家としては自民党の青山繁晴議員があげられるだろう。彼の姿勢もしっかりとしていて揺らがない。

 

目先の利害、損得勘定に惑わされることなく、自分の思想や信仰といった土台を強く持ちたいと思う。そうやって事に臨まなければ最終的には政治の場で大きな仕事をすることはないだろう。今日本が最も必要としているのは、強い思想的支柱をもった政治家だと思う。今の日本では政治家を目指す人材を大切にする雰囲気はまだない。特に地方では役人や官僚ばかり育てているような気がする。そんなことでは住民のために働こうとする指導者はいつまでたっても出てこない。特にこの福井県の市町が衰退の一途をたどっているのは、ここに原因があるように思える。

 

要は信仰に裏打ちされた信念と、自らに対する自信をもった人材なのだ。

こういった人たちが、これからの政治を大きく変えていけると思う。

福井県を良くする会はそういったグループを目指したい。