【女性議員の数?】実は、そこが問題の本質ではない

以前女性議員の数を増やしたい云々と自分のブログで語ったことがあった。例えば、大野市議会のせめて3分の1ぐらいは女性でもいいのではないか、と主張していた自分を覚えているが、議員活動を続けるにつれ、それはなんだか大きな問題ではないと思うようになってきた。結局のところ、政治指導者が男性であれ女性であれ、ちゃんと仕事をしてくれれば良いので。考えが変わった理由は大きく分けて3つ。

 

①女性の政治家がオジサンたちにコントロールされていることがある。

アジア諸国で多いのだが、元大統領の娘らしき人が指導的な立場に立っていることが多い(嗚呼、世襲…)。例外は台湾の蔡英文総統か。大野市の市長さんも鳴り物入りで市職員から市長に昇格したが、いつも後ろにオジサンたちの陰がチラつくのは気のせいか。女性が突如指導的立場に立つと新聞・テレビのオールドメディアはチヤホヤするが、物事の一面しか映していないことが多い

 

②「女性だから」ということで下駄を履かせることで、後々政治家として伸びないと思う。

政治家というのは、結局のところ情熱と信念である。知識・技能といった能力で良い政治家が生まれるわけではない。男女問わず政治家が何度も落選したり、メディアやSNSで叩かれたり、市議→県議→国会議員の階段を上るといったプロセスをふむことで、政治家としての信念が鍛えられる。が、そこをすっ飛ばして女性だからと言って簡単に地位を得てしまうと、必要な争いを避けるために、既得権益といつの間にか手を握って何も大きなことをせず4年間が過ぎていることはよくある。蛇足だが、女性ということでカイロ大主席卒業という詐称が許されるのだろうか?舛添さんの時と扱いがエライ違うと思うのは私だけか。

 

③国内や米国の人権侵害だけでなく、中国、韓国、北朝鮮の人権侵害も堂々指摘する女性議員がもっと欲しい

女性議員が以前社民党に多かった記憶がある。で、こういうタイプの議員さんたちは、中韓北に極端に甘い。国内(慰安婦?問題)・米国(米兵による婦女暴行・黒人差別)の人権侵害を声高に叫ぶのは理解できるが、チベット・ウイグルの人権弾圧、韓国兵によるライダイハン問題、拉致問題にも同じくらいのエネルギーを割いていいんじゃないですかね。同じ人間の人権が蹂躙されているんですから。こういったダブルスタンダードを続けていると信頼を失うのにそう時間はかからない。

 

 

既存のマスコミは、物事の枝葉を報道し、本質に気づかないか意図的に隠すことが多い。

女性政治家の数が多い少ないという議論よりも、政治指導者が有権者の意見を如何に代弁できているかに焦点を当てるべきなのだ。