【主権は誰に?】政治を自民党に、行政を役人に丸投げしてきた福井県

最近の、特に福井県の政治の流れを見ていると、私が子供の頃を含めて、多くの大人たちが政治を自民党に、行政を役人に丸投げしてきたように感じている。私たちは社会科の授業で主権は国民にあると習う。事実それは正解なのだが、主権が民衆によって行使されていないのが現状だ。福井県において、政治はほぼ自民党がコントロールし、有権者が政治に参画しようとする動きは決して活発とはいえない。無投票・多選が横行し、選挙に出ようとする若者を家族・親戚・友人が寄ってたかってやめさせようとする。フリースクール運営時代に思ったことだが、問題意識を持ち社会を変えようとする社会運動家も、自分で選挙は立候補しようとしない。何の権限もない役人や教委、つまり役所の職員にお願いして聞き入れられず仲間内で不満を言って溜飲を下げるだけ。毎朝、新聞をしっかり読むインテリ層もブツブツ不満を言うか、状況を解説するだけで自分で物事を変えようと行動を起こすことは少ない。正直なところ、この福井県においては、老いも若きも男も女も政治というものを恐れ、忌み嫌っているように感じる。そして、政治家を目指そうとする人を奇異の目で見る人が多いのだ。テレビ・新聞で報道される政治家の姿が醜いのは否定できないが、私たちはあまりにも政治に対して消極的すぎる。香港の民主活動家のニュースを見る度にそう思えてならない。

 

教育改革を例に取ろう。なぜ教員の働き方改革が進まないのか?なぜ学校内で自殺が起きたり、登校を渋る児童生徒が毎年一定数存在するのか?これらは長年指摘されていた問題だが、一向に解決の目途が立っていない。これもひとえに政治の停滞が問題だと私は考えている。そもそも選挙で公約を披露しない教育長や学校校長に大きな改革を望んでも失望するだけである。できても小手先の改革で問題の本丸は放ったらかしだ。公務員は一生懸命やってもサボっても同じ額の給料をもらうため、どうしても「つつがなく任期を過ごそう」というベクトルが働く。教員の働き方改革を実現するには、小学校のクラブ活動、中学校の部活廃止にまでメスを入れないといけないが、これは政治家の決断が求められる案件。政治を度外視して教育改革を語る評論家や学者が多いので、物事は前に進まないのだ。

 

私たち日本国民は自民党とお役人に政治を委ねる体質を猛省すべき時だろう。特に福井県のような地方は、自民党以外の野党が極端に弱く、行政に多額の税金を無駄に使われているにも関わらず、お役人に対する信頼感が高い。結果、私たちは自民党とお役人に自分が判断すべきことまで彼らに任せてしまうようになった。一般国民は政治家や官僚を馬鹿にしている人は多いが、どれだけの人が政治家・官僚といったエリートが一般の民衆を馬鹿にしているか想像できているだろうか。政治家の公約を見てみれば分かる。「福井を元気にします」「安心して過ごせる街づくり」「子供たちが輝く未来を」などなどこの程度の公約で当選できると思っているのだ。各論に入ると必ず批判を受けるので、政治家は選挙で総花的なことしか言わない。官僚・役人も民衆の動きが鈍いのをよいことに、政治家に言われてだろうが無用な箱モノ建設のための予算を通そうとしてくる。

 

今一度、思い出そう。私たちが主権者なのだ。政治参画は選挙の時だけではない。陳情・請願、直接請求など自分が興味ある分野で活動してみてはどうだろうか。私たちは、一握りの所謂「上級国民」から政治の決定権を取り戻す必要がある。遅々として進まない改革案や、20年前と同じような問題を、この福井県で、大野市で目の当たりにするとき、いつもそのことを思い出すのである。