【政治的損得勘定を超えて】物質主義的思考からの脱却

あまり使わない言葉だが、「物質主義」という宗教がある。かつてはマルキシズム(唯物論)ということで神、宗教、その他目に見えないものを信じず、ただお金とか食べ物とか権力など目に見えるものを重視する考え方だ。そしてこの考えが戦後モノが極端に少なかった日本社会で瞬く間に蔓延し、今でも私たちの思考様式に大きな影響を与えている。

 

政治の場に少しでも身を置くと、政治家の動きが世相を反映しているようにも思えてくる。当然、政治家は有権者によって選ばれているからだ。無投票であってもそれは選挙区の有権者全体がそう決断を下したとも言える。選ばれた議員を見て国民は憤ったり失望したりするが、実は彼らは私たちそのものを鏡のように映している。

 

選挙の支持を得るために「白い袋」を渡す…こういう文化は広島や富山でなくてもまだ残っているのだろう

実は、お金重視の政治を作ってきたのは私たち自身。物質主義的なマインドで物事を考える人が多いと、選ばれる政治家もそういう人が増えてくる。正義・公義、人権、公正さ、といったお金にならない、時に選挙に不利になるような主張は、政治家はなかなか訴えたがらない。候補者が当選したら、●●にいくら予算をつけるのか、といったことを語りたがる。そのほうが有権者が喜ぶと知っているからだ。

 

私の場合、夏休みの宿題廃止とか拉致問題を風化させないための活動を、などと語っているが、一見「今頃何言ってんの」という反応をする有権者は少なくないと思う。選挙もかなり前なのに誰も聞いていないところで暑い中街頭演説をし、通行中の中高生が私を見て眉をひそめる。

 

しかし、これが大事なのだ。一見、得票に結びつかない、ややもすれば有権者から嫌われるようなことをあえて発言する。なぜこのような行動をするのか、と言えば政治家としての信念と答えるしかない。信念は目に見えず、政治の場では軽視をされている。小泉純一郎元首相のような郵政民営化という国民がかつて全然問題視していなかった問題を30年語り続けるようなことをやってのける政治家は今の福井県には見当たらない。いつでも国民にアンケートを取れば年金とか景気・経済が最重要課題という答えが返ってくる。一方政治家の側は、どうやって自民党や業界団体のミコシに載って当選するか、次の選挙に誰が立候補するのか、などなど些末な細かいことばかり議論したがる。

 

香港やベラルーシ、ロシアの民主活動家がなぜ巨大な中国共産党や圧政を敷く巨大与党に立ち向かっていくのか。物質主義的思考で考えれば、それらの行動は到底理解不能である。戦っても負けるに決まっているからだ。しかし、彼らには信念、自由に対する強固な思いを持っていて、それが故にあのような行動に出られるのだと思う。社会や政治は、物質主義的な小手先の損得勘定からは良くはならない。我々選挙で選ばれる側の立場の者は、そのことを心に留めておくべきだろう。