【書評】岸見一郎著「生きづらさからの脱却」

書評:岸見一郎著「生きづらさからの脱却」

 

アドラー心理学ならこの人、岸見一郎氏。今回、2015年に出版された「生きづらさからの脱却」について、キーワードを元に解説していきたいと思う。わざわざ時間をかけてブログに書いていくのは、この本の内容が自分の哲学を確立する上で役に立つのと同時に、ブログを通して皆さんにも内容を分かち合いたいと思うからだ。

 

現代人は得てして「哲学」などにあまり関心を向けたがらない。直接お金や就職につながるような学問ではないからだ。しかし、哲学を学ぶことによって、自分の生き方を見つめなおすきっかけになり、このことが精神的に大きな助けとなると思っている。故に時間をかけて今回「生きづらさからの脱却」について書評を書いている。生きづらさを感じている人が多いとしたら、おそらくそれは我々の哲学(=生き方)に対する知識とそれに対する思考が不足しているからだと考える。

 

我々を取り巻く社会や文化の中で、既存の価値観を徹底的に吟味し、疑い批判をすることは、哲学の精神そのものと後書きに書かれている。ゆえに哲学を学ぶことによって、我々は間違った社会の常識から解放され、楽しく自由に生きることができる。政治改革をするだけでは人は幸せになれない。同時に精神的な糧も必要なのである。

 

思うに、現代の大人多くが信仰・哲学にあまり関心を払っておらず、物質主義と現状維持主義に陥ってしまっており、若い人を導く力が弱いか、全く間違った方向に向かわせてしまっている。こんな状況を変えていくには、まず自らが書籍を読むことで学び、内容を吟味し、思ったことを書評としてブログに書いていく(またはYouTubeにアップする)ことが大切だ。ただ読むだけでは、本の内容をあまり身につけていないような気がしている。何度か読み返し内容を自分でまとめてみることは、読書から貴重な知識・体験を消化吸収し、自分の血肉にできる良い読書法だと思っている。

 

この本のキーワードをいくつか抜き出してみたが、我々の人生を「生きづらく」している要素に絞ってまとめると、

3章:劣等コンプレックス(つまり神経症)

4章:優越コンプレックス(つまり虚栄心)

7章:承認欲求(褒められたい気持ち)

8章:未来・過去への執着(つまり今、ここを真剣に生きることが大事)

だろうか。

 

第3章:劣等コンプレックス(神経症)

神経症とはあまり使われない単語だろうが、アドラー先生はよくお使いになる。

  迷い悩んでするべき決断を先送りにする。決断しないために、人は悩む。

  家族の関心を集めようと家では様々な問題を起こし、外に出ると注目を集められないのでひきこもる

  傷つくこと、拒絶されること、嫌われることを恐れ、人と交わらないでおこうとする

  自分の課題(本来自分がすべきこと)を他者に解決させようとする

  失敗するとメンツがつぶれるので、新しいことに挑戦しようとしない。

などの例が挙げられていて、誰でもこの中の1つぐらいは自分にあてはまるものがあるのではないか、と思う。かねてから自己肯定感が低いと言われてきた我々日本人は特にそうだろう。しかし、これらの感覚が自分たちの可能性を狭め、人生を楽しめなくなっている原因の1つとなっているようだ。

 

第4章:優越コンプレックス(虚栄心)

虚栄心、つまり自分を実物大よりも大きく見せることである。気持ちは分からないではないが、虚勢を張り続けるのは正直つらい。人は背伸び(つま先立ち)で何時間もたってはいられないのだ。事例としてあげられているのは、

  怒鳴る上司は、仕事ができないのを隠すために、やたらと部下を怒鳴る

  差別、いじめも人の虚栄心から来る。人を差別し、自分より弱いものをいじめることで、自分の価値を高めようとする傾向が人間に備わっている。

  大した努力もせずに、大きな勝利や成功を期待し、現実との接点を見失う

  子どもが親の愛情を得るために期待に沿おうとして格別の努力をするが、それが叶わないとなると注目をひくために問題行動を起こし始める。言い換えれば「グレる」。特に成績を上げることで、親から褒められることを勉強の動機にしているケースは多い。

等であった。

 

虚勢を張り続けると人間はおかしな行動を起こすことが多い。ありのままの自分を見つめ、例えば成績が今30点なら、つぎ35点を目指すといった、自分なりのペースで学ぶ必要がある。他者と競争してはならない。マラソンで何位になる、という競争ではなく、自己ベスト記録を塗り替えるようなもので、マイペースで走り続けることが大事である。

 

政治家もそうで、これは自分と同い年か若い政治家が高い地位にいてバリバリ仕事をしているのを見て羨ましいと思う気持ちだろうか。地位や収入に対する男の嫉妬は犬も食わないだろう。私(40歳)が小泉進次郎さん(39歳)に嫉妬をしても始まらない。自分のペースで自分ができることを精一杯やるのみである。

 

我々の社会では、目に見える成功や数字ばかりが重視され、どのように困難を切り抜けてきたかというプロセスを軽視する傾向にある。教育現場でも、点数のみが重視され、学びの過程がどうだったかについて問わないことが殆どである。つまり子供が学びを楽しめているかどうか、学校生活を楽しめているかどうか等、数値化できないものについて全くと言っていいほど考慮されていないのだ。

 

政治家で言えば、選挙で当選したかどうかばかりが焦点になるが、選挙結果など相手候補の数と強弱によって当選可能性は大きく変わる。これは候補者本人がコントロールできないことなのに、世間は当選したかどうかにしか関心を払わない。しかし、それでは票を集めることしか考えない浅はかな政治家しか生まず、そういうのは大抵選挙後に有権者の前から姿を消す。

 

まず、各候補者が自らの政治活動を通してしっかりと思いを有権者に訴えかける、そういったプロセスを重視すべきなのだ。長期の努力を通して、有権者が政治について考えるきっかけを作り、選挙で判断材料にすることが大切。選挙結果よりも前に、どの候補が強い弱いではなく、まずは各候補の地道な政治活動に着目すべきだろう。

 

 

7章:承認欲求(褒められたい気持ち)

 

他者から褒められることを何よりも重視する生き方は、自分を不幸にする。言い換えれば、自分のやりたいことができず、自分の人生を生きられなくなるのだ。現実との接点を見失わずに地に着いた生き方をするために、承認欲求、つまり他者からどうみられるか気にしないことが大切だ。他者に迎合する人生は、将来の方向性を自分で定めることができないばかりか、言を左右にするので最終的に不信感を持たれてしまう。他者の顔色を窺うことで嫌われることを避けられるが、他者の人生を生きることになってしまう。

 

言い換えれば、相手が自分について期待するイメージに自分を合わせようとする。一番わかりやすい例は、上司や親に褒められたい、という気持ちだろう。承認欲求が強い人は、自分は無能だと公言しているようなもので、自信や能力のある人は本来他者の承認など必要ない。そういえば、ゴッホなど超有名な画家などは、自分が死んだあとに絵が高値で売れ始めたようだ。ゴッホのように仮に自分の功績が自分の死後認められたとしても、生前の働きは十分に意味があり、事実歴史に大きなインパクトを与えている。

 

承認欲求が問題は、仕事や勉学など様々な方面で我々の思考に悪影響を及ぼす。自分が褒められない、評価されないと思った途端、努力をやめてしまうからだ。秀才や優等生が意外と脆いのはこういう理由である。一度望むような結果を残せなかったら、努力を放棄してしまうのだ。失敗したら再挑戦するのが健全な反応であるが、賞賛を目的とした行動にはそういった前向きな行動が伴わない。我々の行動に完璧はあり得ない。たとえ50点、60点であっても不完全ある勇気を持とう。30点であっても35点を目指して努力し続けるのだ。

 

選挙で言うと、有権者が喜びそうなことだけを言い、有権者が自分に対して期待するイメージに無理して自分を合わせようとすることだろう。だが、それは本来政治家として自分が言いたかったことでもなければ、本当の自分の姿ではない。そういった虚構の自分を長い間演じていると、政治指導者の顔から輝きが失われていく。結果、他者に操られた状態で自分の姿を大衆の面前にさらすことになってしまうのだ。そして、そのようなタイプの政治家は本当に多い。選挙という最も承認欲求に陥りがちなイベントにおいて、自分の在り方、自分の本当の姿を示すことが自分の人生を生きる上でいかに大切かがよくわかる。

 

 

8章:未来・過去への執着(つまり今、ここを真剣に生きることが大事)

 

時に人は過去のことを思い後悔し、未来のことを思い不安に思う。今を真剣に生きることが大事だ。眉間にしわを寄せて深刻に生きるのではなく、今この瞬間を大切に生きたいものだ。遺伝や過去、経験した事故や災難に目を向けていると、人は前に進むことができない。我々は不完全な世の中で不完全な人生を生きている。その中でも自分たちはベストを尽くして生きていたい。

 

 

だから、自分がすべき課題-仕事、結婚、人間完成、勉学など-我々は取り組む前からあきらめていることが多い。悔やむことは無意味であり、失敗したらやり直せばよい。今ここでできることをしっかりやればよいのだ。過去も未来もなくなれば、後悔も不安もない…そんな人生を生きられれば、今というこの時間を本当に幸福に生きられると考える。