【県民福井の社説】旧東独を鏡に映すと、福井県が見えてくる

中日新聞(日刊県民福井)の今日の社説で1つ気づくことがあった。

 

タイトルは「(ドイツ)統一で得た自由の値打ち」。東独出身のメルケル首相のスピーチを引き合いに、今の自由民主主義を守ろう!という内容の社説である。移動の自由や政治思想の自由、報道の自由が認められなかった東独では、もちろん秘密警察の存在やベルリンの壁を超えると銃殺という圧政もあったが、国民やメディアが自ら進んで「ドイツ社会主義統一党」を支持するようになっていた、と社説には書かれている。

 

旅行や園芸など、政治に関係ない趣味に国民やマスコミの関心を向けさせることによって、反体制運動などが起こらないよう政府自らが指導していた、という記述は興味深い。そういえば作家の佐藤優氏も1970年代に1人東欧を旅行したそうだが、ウサギ小屋に住む日本人に比べゆとりがあり、意外と生活水準は高かった、と言っている。

 

社説で一番読むべき箇所は最後の「政治的無関心に警戒を」という部分。いつも正しい党よ…と合唱するような社会は御免だ、という一文は一考に値する。

 

ここで、福井県を人口80万人弱の「国」と仮定すると、県知事が自民党で県議会の4分の3が自民党、市町の首長・議員も自民党籍を持っている人が圧倒的に多い。県民も政治に対して声を上げたり活動することは少なく、選挙が無投票か、形骸化している自治体は多数だ。県内マスコミも権力与党に対して厳しい追及をすることに及び腰になっていて、報道もなんだか奥歯にものを挟んだような言い方をする。そんな中でも県民は「幸せ県No.1!」という行政当局のプロパガンダに踊らされてはいないだろうか。

 

そう、我々は「幸せNo.1」と思わされているのだ。…なんだか状況は旧東独に似てないか?

 

今回2020年4月に政治団体福井県のよくする会を立ち上げたが、これは有権者に自民党以外の選択肢をもってほしかったからだ。規模は象とノミぐらいの差はあるが、インターネットの登場で個人が組織並みの発信力を持つことができる今、自分たちで出来ることをやっていこう、という決意で幹事長の吉田君と2人で活動を始めた。

 

初戦は、来年3月の越前町議会議員選挙で、候補者が見つかりそうだ。4年前の町議選では自らが町民として投票しており感慨深い。

 

映画「はりぼて」で赤裸々に描かれていたのは、自民党一党体制の中でうごめく滑稽な政治家たちの姿だった。これでは政治家になろうと思う市民は出てこないだろう。なろうと思う人は変わり者と思われるのがオチだろう。自民党王国の福井県は決して他人事ではない。

 

そういえば市議選立候補前に、私の出馬そのものがケシカランと私に対して憤りを感じていた人たちが多くいた。政治に対して意識高い系、大野市民でもない人までがそう言ってきた。市議を目指すことそのものが間違いだというのである。インテリの有権者自らが政治に対してこのような及び腰で良いのだろうか。そして驚くべきことに選挙後、彼らは当選後恭しく「おめでとう!」と私に言ってきたのである。人は目に見えるもの(金・権力)に弱く、目に見えないものを軽視する。

 

我々福井県民は自らが主権者であることを忘れ、政治を自民党に、行政を役人にまかせっきりでここまでやってきた。いつの間にか両者は手を組み、有権者自信による政治活動が下火なのをいいことに、候補者調整等を通してうまいこと選挙をセレモニー化させてきた。

 

同じ政党が長年1年間も野党にならずに統治してきた福井県。一応選挙があり、基本的人権が守られている日本だが、有権者による政治参画が極度に停滞しているという意味では、旧東ドイツの政治状況と何が違うのだろうと思う。政治エリート達や役所はしきりに我々に対して「投票しろ」「投票率を上げろ」と言ってくるが、「君も立候補しなさい」とは言ってこない。なぜなら多くの有権者に立候補をしてほしくない人たちが大勢いるからだ。

 

旧東独は我々福井県の鏡。寄らば大樹の陰でやってきた大人たちの振る舞いを今こそ変えていくべき時である。

 

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統一で得た自由の値打ち 週のはじめに考える

2020年10月4日 05時00分 (中日新聞10月4日)

 

 ドイツ統一から三日で三十年。統一により、社会主義国家だった東ドイツにも行き渡った自由は、民主主義の根幹をなす重要な価値観です。ポピュリズムや不寛容が広がりつつある今こそ、自由の値打ちを見直したい。

 民主化要求運動の勢いに押され一九八九年十一月九日、東西ドイツの国境を隔てていた壁が崩壊しました。その一年後の九〇年十月三日、西独が東独を編入する形でドイツ統一が実現しました。

 東西の格差など統一のひずみはありましたが、旧東独地域は豊かになっていきました。

メルケル首相の訴え

 象徴的なのが、ドイツ人がこよなく愛する車です。

 東独時代は国民車とされた「トラバント」一択でした。強化プラスチック製で、操作もスムーズにいかず、黒い排ガスをまき散らし大気を汚染していました。それでも、注文から引き渡しまで十年以上かかるとされていた高根の花でした。

 これに対し現在は、ベンツ、BMWなど国内の高級車、日本車などの外車から選び放題です。

 東独市民が統一後に得たものはモノだけではありません。自由への翼こそ、かけがえのないものでした。

 新型コロナ対策で、ドイツでも行動が制限されました。メルケル首相は「私たちにとって、渡航や移動の自由は苦難の末に勝ち取られた権利でした。そういう経験をしてきた者にとって、こうした制約は、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです」と対策への理解を訴えました。東独育ちのメルケル氏は、自由の尊さを痛感していました。

 自由のない画一的な社会とは、どのようなものだったのでしょうか。ある歌が象徴しています。

 「党がすべてを与えてくれた。太陽も風も。惜しむことなく。党がある所に命がある。党があるからわれわれは存在する。党が見捨てることは決してない。…党よ、党よ、いつも正しい党よ」

 東独の公式行事などで、行進曲のような威勢のいいリズムに乗って奏でられてきました。事実上、一党独裁だった「ドイツ社会主義統一党」の党歌です。

 赤面したくなるような妄信的な歌詞ですが、東独市民らは大真面目に歌っていました。なぜでしょうか。

 市民らは、国境の壁や越境者銃殺などの弾圧による恐怖、反体制活動を監視する秘密警察(シュタージ)に抑え込まれていました。

不承不承の協力者

 しかし、人々を「党の歌」などへの同調に追い込んだのは、力だけではありませんでした。

 東欧を支配していたソ連型共産主義について米国の歴史家アプルボーム氏は「多くの政治的無関心な人間を糾合し、これといった抵抗もなく協力を取り付ける」という特徴を指摘します(「鉄のカーテン 東欧の壊滅」、白水社)。

 秘密警察への恐怖に加え、権力を礼賛するスローガンがあらゆる集会や行事で繰り返し流され、反対する気力を奪いました。「再建」などのスローガンは期待も抱かせました。こうして体制に同調していくことを、同氏は「不承不承の協力」と呼び、ある週刊紙の編集者らを具体例に挙げます。

 体制への異論は封じて、掲載記事は「政治とは無縁のはけ口」として園芸や旅行などの趣味的な内容に限り、当局を忖度(そんたく)しながら記事をまとめました。

 一方で記者らは、取材を名目に旅行の自由を楽しみ、保養施設などの手厚い福利厚生を享受することができました。

 自由を抑圧していたのは指導部だけではありません。アメとムチで動かされた市民らによって、支えられていた面もあったのです。

 今、東独市民が取り戻した自由や多様性をないがしろにするような出来事が相次いでいます。

 旧東独地域では、反難民移民を訴える右翼団体「ペギーダ」が結成され、排外主義の右翼政党「ドイツのための選択肢」が躍進しました。

 やはり民主化したはずのハンガリーやポーランドの政権は強硬姿勢を強めています。

政治的無関心に警戒を

 一九四九年十月に建国された東独で、民主化運動が本格化したのは四十年後でした。一度失った自由を回復するのは難しく、時間もかかります。

 愚かな歴史のひとこま、とひとごとのように受け流すことはできません。残念ながら日本でも、忖度が民主主義を損なう事例が相次いでいます。

 「いつも正しい党よ」と合唱するような社会はご免です。「政治的無関心」に付け込まれることなく、自由の尊さをかみしめ、守る決意を新たにしたい。三十年前に消滅した東独を教訓にして。