【幸せ日本一福井県だが…】不都合な3つの政治的課題

1998年に発売された、故李登輝元台湾総統が著した「台湾の主張」の第6章に「今、日本に望むこと」という章がある。親中外交に傾斜し、経済が停滞している日本を横目に、元日本人であった李登輝した叱咤激励している章であり、10代の頃の自分に大きな影響を与えた部分である。

 

李登輝氏の考察として、日本が停滞し続けている理由は、

1.政治に世襲制が蔓延ってしまっているから

2.官僚主義が変化への対応を遅らせてしまっているから。

3.(80年代バブル期の)古いやり方が通用しないことで意気消沈してしまっているから。

であった。

 

この指摘を自分なりの解釈をすると、

1.世襲制

世襲が政界にはびこると、政治的信念の弱い政治家の子弟(またはその秘書、娘婿etc)が容易に権力を握るようになり、意識の高い民間人が政治家になろうとしても世襲候補によって阻まれてしまう。世襲は自民党に最も顕著な現象であり、20年経過した今もその伝統は延々と続いている。

 

2.官僚主義

今は昔ほどでもないが、かつては政治家が決めるべきことも官僚が決めていた経緯がある。これが故に政治家が確固とした信念を持たなくても政治家が務まるようになっていた。官僚というのは、排他的でつまらない理論に固執し、前例踏襲主義・横並び主義である。職業上、細かいことに拘泥せざるを得ないる官僚はどんなに優秀でも、大局的に物事を把握する、といった別の能力が政治家に求められるのだ。

 

3.自信喪失

昔のやり方でうまくいかなければ、違うやり方を試みることで突破口が開けることがあるが、以前のやり方に固執するか、挑戦する前から諦めてしまっている状況である。冷静に自分と状況を観察することによって、不必要に怯えている自分たちの姿に気づくことができる。

 

この3点を今ここで読み返してみると、今の福井県、特にわが町大野市にも大いに当てはまるような気がする。世襲制も、官僚主義も、(政治に対する)自信喪失も私が10代の頃から継続して続いている問題なのだ。世襲議員も多く、有権者は政治家よりも役人を信頼し(そして裏切られ続け)、政治改革に挑戦する以前に戦意喪失している民衆の姿は李登輝氏の指摘と全く重なっていると言っていい。政治は変わっていない。早急に改革を進める必要があると考えている。

 

では、現在の大野市を含む福井県において、何が政治的な課題となっているか、自分なりの考えをまとめてみたい。

 

① 官僚主義

歴代の福井県知事は与党自民党に支えられた官僚出身者が続き、また県内市町の首長も行政出身者(=役人)が多い。役人というのが元来横並び主義、前例踏襲主義である。細かな制度設計を行うときはこの良さが発揮されるが、政治家の仕事は大局的に物事を把握し、将来の方向性を指し示すのが仕事である。故に新しい時代に対応していくには官僚主義はマイナスに働くことが多いと考えられる。さらには役人タイプの人は、あらゆる人物や団体に忖度をしてしまい、問題の根幹を言語化することが非常に苦手である。言い換えれば、アピールが苦手なのだ。何かを強くアピールすれば当然批判が起こるが、優等生でやってきた人たちには批判そのものが耐え難いことでもある。日本には、言を左右に奥歯にものを挟んで話そうとする政治家が非常に多い。政治家は責任を持って問題の所在を把握し、有権者に広く訴えかけ、果敢に解決しようとする勢いが必要なのだ。

 

② 自民党一党体制

自民以外の政党が行政権を握る大阪や沖縄、野党がそれなりの存在感を示す大都市とは違い、福井県は自民党が県議会の4分の3を占める自民党王国である。選挙をすれば自民党候補が勝ち、自民党内の候補者選定のほうが、選挙よりも重要になっている有様である。これでは有権者はいつまでたっても政治の蚊帳の外であり、民主的な政治は成長せず、民衆は自民党と役人に政治を委ねて生きることを余儀なくされる。これでは地方は発展していかないのだ。そして自民党一党体制が、各市町の選挙の無投票、多選、世襲の傾向に拍車をかけているのは間違いない。しっかりとした存在感のある野党が、自民党に対する選択肢を有権者に提示していかなければ、結局福井県民は選挙で政治家を選ぶことができない。自民党が言えないこと、できないことを果敢に訴える政治団体が今必要とされているのだ。

 

③ 一般有権者による政治参画が乏しい

福井県は人口のわりにインテリが多い県だと思うが、多くの問題点を指摘できる人材が多いにもかかわらず、自ら選挙に出るとか、陳情・請願を議会に出すとか、署名を集めるといった政治活動が低調である。去年私が市議選に出る際に、選挙に出ること自体を「ケシカランこと」と考えている有権者が意外と多く、面食らった覚えがある。こういった人たちは、政治に対する不満だけは一丁前に語るのだが、こんな及び腰の態度では信念や政治に対する思いの弱い政治家ばかりが選挙に当選してしまう。市町の議会は、一般の有権者が気軽に挑戦できるいわば「民主政治の学校」のような場所だと考えている。選挙そのものに、お金は本来そんなにかからない。政治に対する知識や経験が不足していても、思いがあれば誰にでも門戸が開かれているのが市町議会であり、その中から頭角を現してくる人材が将来の良質な首長・県議候補になっていくのだろう。故に今こそ、多くの人に政治参画を促すべき時なのだ。