【民主主義】選挙は面倒なプロセスだが、自由の生命線でもある

越前町議会議員選挙3日目が終わった。実際にやってみて、最も重要な時間帯は通勤ラッシュの7時45分から8時半の45分間で、後は昼食の時間の12時~12時半。そのほかの時間は、どこで街頭演説をしても人通りが少ない。選挙カーを走らせることも可能だが、あまり意味をなさないだろう。正直言って事務所で寝ていても、大して気づかれはしない。

 

越前海岸で自分の候補者だけのポスターが剥がされていたのは傑作だったが、今の日本では政権与党に歯向かって殺されたり、牢屋に30年入れられたりするわけではない。よくよく考えるとポスター剥がされることなどど大したことでもないのだ。

 

選挙はうるさいし、小さな自治体では敵味方分かれるし、気にくわない人が立候補しているし、多くの税金が使われている。選挙なんて鬱陶しいと思う人も多いかもしれない。しかし、ここが共産化・独裁化に続く道なのだ。

 

選挙を「面倒だ」という理由で軽視していると、権力を握りたい人物や団体が悠々と政権を握り、我々が納めた税金を訳の分からない事業、採算の合わない事業に平気で使い込んでしまう。これが如実に表れたのが2014年、2015年の大野市。市長選、市議選、県議選の3つが連続して無投票だった。この間市民は政治に参画することに極めて消極的だった。結果は、大野市で様々なハコモノが立てられ、財政は目に見えて悪化していった。

 

住民が政治を忌み嫌い、参画を怠るようになると、割を食うのは住民である。税金は上げられ、我々の収入は増えない。なのに、選挙で候補者も出さないのであれば、選挙そのものが成り立たなくなる。福井県は無投票が多い。私は人々の生活が苦しいのは、他国やコロナのせいにしたい気持ちも分かるが、政治が悪いからだと考えている。ハッキリ言って我々日本人は自民党に政治を任せ過ぎだと思う。