新約聖書ローマ人への手紙「この世と調子を合わせてはいけません」

【週の始めに考える】新約聖書ローマ人への手紙12章2節

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

この世の調子を合わせるということはどういうことか、キリスト教徒だけが正しく、そうでない人は悪を犯す、という意味でもあるまいに。しかし、この政治の世界に身を置くものとして、この聖書箇所はかなり心にしっくりくる。まず、現代人が基本的に間違いを犯しやすいところ、といったら何だろうか。

① 孤独になりやすい→自由ではあるが、人は1人では生きていけない

② 物質主義に陥りやすい→地位・権力とカネを崇拝する

 

佐藤優が「President誌」上で言っていた。今こそコロナで世界が混乱している時に、宗教が出番なのだ。しかし、日本でも、外国でも既存の宗教が人々の心の受け皿になり切れていないのが痛い。宗教は英語で「religion」だが、このreligioというのは結び合わせる、ということ。これは人と人を結び合わせるのが宗教だ、という意味だ。英国留学時代私は教会に暫く通っていたが、説教が重苦しいと思ったので、途中でやめた。数年後私も東京で一人暮らしをしたことをきっかけに、教会に再び通いたいと思うようになった。キリスト教を通して多くの仲間、友人が出来、会ったこともないような外国の人とも簡単につながれる、こんな素晴らしいことがあるだろうか。これは無宗教の世俗的なグループではなかなかそんなネットワークはできない。日本でいうと、創価学会の団結力はとても強固だが、ああいう仲間意識は孤独な、特に都会の現代人にとっては心強く響く。私たちは孤独を感じ、病気などで命の危険にさらされる時は、宗教に惹かれる。それはすなわち、オウム真理教のようなカルト集団にハマってしまう危険性と隣り合わせでもあるのだが。

 

現代人の陥りやすい①孤独②物質主義を避けるためにも、今宗教について考えるべき人は多いのではないか。全てを損得勘定で合理的に考えることが、果たして人を正しい道へを導いてくれるのか。企業が利益が出るからと言って、新疆ウイグル地域の奴隷労働に手を貸すようなことがあってよいのか、ということである。日本人も欧米先進国でも長年中国に甘かった。かなり多数の政治・経済エリートが未だに中国の幻想から目を覚ましていない。これは神なき物質主義者の典型的な思考回路で、共産主義は神と宗教を否定したところから始まったのだ。アジアの儒教文化圏では、人が「神」となる傾向が強く、試験で選ばれた政治エリートが皇帝に使えるシステムを歴史的に採用してきた。そういう意味では中国、北朝鮮はアジアらしいといえば、アジアらしい。欧米でも、ソ連・ロシアなんかは結構アジアの独裁主義なんかしっくりきてる感じがする。逆に民主主義に対する信念が強いのはおしなべてキリスト教のプロテスタントが強い国々(米、カナダ、西ヨーロッパ、北欧、オセアニア)だと思う。「例え多数派が何と言おうと、私はこう思う」と言える市民の多さがその国の民主主義を支えているのだ。そう考えると、今の「お上にお任せ」的な福井県の政治はかなり頼りなく映る。

 

これから教会の礼拝があるが、ただ教会に通うのみならず、神につながっていることはどういう意味があるのか、よく考えてみたい。この世と調子を合わせるとはどういうことなのか、何が神の目からよしとされるのか、常に心に留めておきたい。

 

新約聖書ローマ人への手紙12章2節

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。